歴史と自然が織りなす景色!二俣城址の紅葉
秋風が心地よい季節となりました。
今年の紅葉狩りの計画はもうお済みですか?
今回は、歴史好きも自然好きも楽しめる、静岡県浜松市にある二俣城址の紅葉の魅力をご紹介します。
この記事の見出し
二俣城址ってどんなところ?
二俣城址は、戦国時代に築かれた山城跡。
天竜川と二俣川に挟まれた天然の要害に位置し、武田信玄や徳川家康といった名だたる武将たちがその覇権を争った歴史の舞台です。
国の史跡にも指定されている二俣城址。
その歴史は古く、16世紀初頭、遠江国を巡る今川氏と斯波氏の争いの際に、今川氏が拠点とするために笹岡古城という城館を築いたのが始まりとされています。
【詳しく解説!】二俣城の激動の歴史
1. 今川氏の時代
二俣城を築いた今川氏は、その後、城主として朝比奈泰朝を配置し、遠江支配の拠点として二俣城を重要視しました。しかし、1568年、武田信玄の遠江侵攻により、二俣城は激しい攻防戦の末、武田氏の手に落ちてしまいます。
2. 武田氏と徳川氏の攻防
武田氏に奪われた二俣城を、徳川家康は1572年に奪還しますが、翌年には再び武田信玄に奪われてしまいます。その後も、二俣城をめぐって徳川家康と武田勝頼の間で激しい争奪戦が繰り広げられました。この争いは、「二俣城の戦い」として、戦国史に名を残す激戦となりました。
3. 悲劇の舞台
二俣城は、徳川家康の長男・信康が切腹させられた悲劇の舞台としても知られています。
1579年、信康は武田氏との内通を疑われ、二俣城で切腹を命じられました。この事件は、二俣城の悲劇として後世に語り継がれています。
4. 二俣城その後
1590年、豊臣秀吉の命により家康は関東に移封となり、二俣城には堀尾吉晴が入城しました。堀尾氏は城郭を改修し、天守を築いたと考えられています。しかし、1600年の関ケ原の戦いの後、二俣城は廃城となりました。
このように、二俣城は戦国時代の激しい攻防戦の舞台となり、歴史の転換点に深く関わった城です。
二俣城址で紅葉を楽しむ
二俣城址の紅葉の魅力は、何と言っても歴史的建造物と紅葉の織りなすコントラスト。
赤や黄色に色づいたモミジやカエデが、石垣や土塁を鮮やかに彩り、まるで絵巻物のような美しさです。
特に、本丸跡から見下ろす紅葉は絶景!
さらに対岸からの天竜川の流れと紅葉のコラボレーションは、歴史そのまま今に残しているかのように感じられる美しさです。
静寂に包まれた城址で、ゆっくりと紅葉を堪能できるのも魅力の一つ。
鳥のさえずりや川のせせらぎを聞きながら、歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
静かにゆっくり紅葉を眺めながら、流れる時を楽しみたい人向け👍
二俣城趾アクセス情報
⭐️ 3.9(420)
🚩 浜松市天竜区二俣町二俣990
🚗 駐車場あり(無料)
二俣城趾まとめ
歴史と自然が織りなす絶景、二俣城址の紅葉。
今年の秋は、ぜひ二俣城址を訪れて、戦国時代のロマンを感じながら、美しい紅葉を満喫してください!
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