徳川家康ゆかりの地|住宅街にある椿姫観音堂
2023年に放映のNHK大河ドラマ『どうする家康』、ご覧になっていますか。
今回ご紹介する椿姫観音は、ドラマでは関水渚さんが演じられたお田鶴(たづ)の方を祀った地です。
亡き夫である飯尾連龍(いいおつらたつ)に代わり引間城を守る、凛々しい甲冑姿で戦う姿が印象的でしたね。
彼女は別名、椿姫ともよばれています。
その理由を含め、椿姫観音が祀られた歴史を中心にご紹介します。
住宅地の一角にある小さな観音堂
昔、元浜町あたりにある屋敷は椿屋敷と呼ばれており、その一角に椿姫観音が祀られていました。
椿屋敷の由来は、お田鶴の方が居住地があった事にあると言われています。
しかし、昭和初期に開催された博覧会で、この椿屋敷の多くは会場整備のために取り壊されてしまいました。
椿姫観音は観音様が祀られる場所として取り壊しを免れましたが、太平洋戦争で一度は消失。
その後に再建され、住宅地の一角に現在まで大切に祀られています。
地元では、商売繁盛、長子誕生の観音様として知られています。
また、観音堂の中には祈願石が設置されています。
優しく心を込めて石に触れると、良縁成就、合格祈願等が出来るようです。
毎月11日には、地元の方々が追善供養をしていらっしゃいます。
お田鶴の方が椿姫と呼ばれた由来
お田鶴の方の夫である飯尾連龍は、徳川家康への内通を疑われ、今川氏真(今川義元の息子)に殺害されました。
お田鶴の方は夫に代わり、引間城を守る事になりました。
彼女は大河ドラマで注目された井伊直虎と同様、女城主ともされています。
家康は引間城を明け渡すなら一族共々面倒を見ると交渉しますが、お田鶴の方はこれを拒否します。
交渉は決裂し、徳川家康は1568年(永禄11)年、引間城に攻め込みました。
お田鶴の方は城兵を指揮して戦いましたが、大軍相手には城を守り切る事が出来ませんでした。
覚悟を決めたお田鶴の方と18人侍女は敵陣に切り込み、壮絶に戦いました。
しかし、命を落とします。
徳川家康は彼女を含む戦死者の遺骸を手厚く葬り、塚を築きました。
家康の正室である築山御前は、塚周辺に百本近くの椿を植え弔いました。
築山御前とお田鶴の方は母同志が義理の姉妹にあたります。
椿は毎年美しく一面に咲き誇り、やがて椿塚と呼ばれるようになりました。
これがお田鶴の方が別名「椿姫」と呼ばれる由来です。
浜松城下の人々は塚を「椿姫塚」として供養し、昭和の時代には堂を建立しました。
2023年で創建80年を迎えます。
現在も数本の椿が植えられています。
椿姫観音堂の近くには、多くの徳川家康ゆかりの地がある
椿姫観音の周辺には、徳川家康ゆかりの地が数多く存在します。
椿姫観音の南西に徒歩8分程進むと、元城町東照宮(引間城跡)があります。
こちらは出世神社として知られています。
他にも周辺には出世城と言われる浜松城や家康が三方ヶ原の合戦で逃げる時に隠れた木がある浜松八幡宮など20カ所近くに上ります。
GWに盛大に開催する「浜松まつり」の始まり
また、浜松まつりの始まりは、当時の浜松を治めていた引間城主とお田鶴の方の長男誕生を祝って凧揚げをしたことが起源となったと言われています。
子どもの誕生を祝う初凧の伝統は、現在も浜松まつりの壮観な凧揚げ合戦に受け継がれています。
(浜松まつりは例年ゴールデンウィークに開催されており、椿姫観音が会場ではありません)
椿姫観音堂の詳細情報
住所 | 静岡県浜松市中区元浜町133 |
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電話 | 0534-52-1634 |
拝観時間 | 常時開放 |
駐車場 | なし ※近隣に有料の浜松城公園駐車場があります。 |
アクセス | 電車 JR浜松駅から徒歩約20分 遠鉄「八幡駅」から徒歩約6分 |
椿姫観音堂
椿姫観音はお堂こそ小さいものの、地元の方に古くから愛されています。
最期まで潔く戦い抜いたお田鶴に対する敬愛も含まれているのかもしれませんね。
また、椿姫観音周辺には徳川家康ゆかりの地が徒歩圏内に多く存在しており、当時に思いを馳せながら歩くのも楽しいでしょう。
椿姫観音は住宅地の中にあるため、大声で騒がないようにするなどマナーを守り、気持ちよく観光しましょう。
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