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秋葉寺を巡る情景1:「縁(えにし)編」

 2021/12/10
学ぶ この記事は約 8 分で読めます。
秋葉寺火祭り

「秋葉山の火祭りは、毎年12月15、16日の両日にわたって執り行われます。
この祭りは、火防鎮護の霊威さらにあらたかなることを願って、火防天狗秋葉三尺坊大権現に七十五膳を献供する儀式が中心となっています」

これが、秋葉寺のホームページの火祭りの冒頭の説明です。

浜松市天竜区の秋葉山には、秋葉神社と秋葉寺のふたつあります。
ここにある秋葉神社は日本全国に点在する約400社ある総本山であり、全国的に有名です。

毎年12月15、16日と、そこで行われる火祭りは全国から観光客が集まります。
秋葉寺の方は、参加者も火渡りを行い、けがれた身を清浄な火によって祓う行事を行います。

今回はいつもと趣向を変えて、場所のご紹介とエッセイで巡る『秋葉寺の行事』になります。
私個人とかかわりあった、小さいですが大切な縁についてお送りします。

 

その1(秋葉神社と秋葉寺)

秋葉山は「あきはさん」と読みますが、秋葉寺は「しゅうようじ」と読みます。
(これは最近知りました)

秋葉山には、頂上の秋葉神社があり参拝客も多く有名です。
そこから山道を800m降りると、秋葉寺が現れます。
こちらは、ほとんど無名といってもいい存在です。

秋葉寺は千有余年来つづいて来た、秋葉三尺坊大権現を祀ってきました。
明治6年までは、秋葉山全体を支配してきました。
そこで秋葉寺は消滅してしまいます。
原因は明治期の神仏分離と廃仏毀釈です。

大政奉還後に成立した新政府によって慶応4年3月13日(1868年4月5日)に発せられた太政官布告(「神仏分離令」「神仏判然令」)と明治3年1月3日(1870年2月3日)に出された詔書「大教宣布」などの政策を拡大解釈し暴走した民衆をきっかけに引き起こされ、仏教施設が破壊されました。

日本政府の神仏分離令や大教宣布はあくまでも神道と仏教の分離が目的であり、仏教排斥を意図したものではありませんでした。
結果として仏像・仏具の破壊といった廃仏毀釈運動(廃仏運動)が全国的に発生してしましました。

秋葉寺も同様に廃仏毀釈の難にあい廃寺の憂き目に遭いました。
川に流されたり、土中に埋められたりしたそうです。

明治13年(1880年)に秋葉寺は復寺となりました。
現在の秋葉神社は、明治初頭の神仏分離令の混乱期に乗じてつくられたもので、秋葉寺の火防の霊験とは無関係の宗教施設であることは明らかであるとは識者の見解です。

秋葉神社と秋葉寺秋葉寺本殿です。
この中で、最初儀式が行われます。

 

その2(縁)-1

今年(2021年)の5月のころです。中学校の同級生が、「故郷の水窪に里帰りするので、コーヒーを飲みに来ませんか」とお誘いがあったので、同級生数人とお邪魔しました。

旦那様が退職されたら、水窪にもどり、コーヒーやパンのお店を出したいという希望があり、建築の仕事を経営されている同級生に依頼している関係で、私たちも一緒に招いてくれました。
水窪のお宅にはお父さんとお母さんもいらっしゃいました。

昔話しも盛り上がり、おいしいコーヒーとおいしい自家製のパンもいただき楽しいひとときでした。
お父さんともいろいろ話をさせて頂きました。

非常に歴史の詳しい方で、歴史探訪の取材も何度も受けている方でした。
二俣城攻防戦で籠城している徳川軍を水の手櫓を破壊したことで、勝利を治めた武田軍が、青崩れ峠を通って二俣城まで進撃したことなど、私の興味を引く話題で盛り上がりました。

秋葉寺同級生のお父さんです。歴史に詳しくて、10年前は火祭りの主役でした。
今回この方との縁(えにし)を書いてみました。

さておいとましようと思いましたが、ひとつ気になることがありました。

仏壇の横に曼荼羅が額に入って、2枚飾ってありました。
普通の家には飾ってあるものではなく、非常に珍しいものでした。

なんで飾ってあるのかわかりません。
それを聞くチャンスもなく玄関先でお母さんとお話しをさせていただきました。
「うちのお父さん、昔秋葉寺の火祭りに参加していて、修験者の修行に出たことがあるの」

浜松エンジョイ情報倶楽部でも、「浜松のまつり 秋冬編」でも取り上げた「秋葉寺の大護摩供養」を実際に参加したことがあるとのことで、言葉もありません。

実は、秋葉神社の火祭りは行ったのですが、秋葉寺の火祭りには行っていませんでした。
参考にしたものは、YouTubeの動画でした。
その迫力だけで圧倒されて、絶対に行きたいと思っていた行事でした。

修験者の方々と一緒になって、火まつりの行事を行う方だと聞いて、もっとお話をお聞きしたかったのですが、帰りの時間なので、できませんでした。
もう一度、もう一度お邪魔してその話を聞きたいと強く思いました。

チャンスは夏にやってきました。
やはり同級生が帰郷するので、「またコーヒーとパンを食べにきませんか」とお誘いがありました。

いざ鎌倉で、おっとり刀で出かけたのです。
「その時、火祭りの様子の写真があれば、是非見せてください」
などと厚かましいお願いをしました。

秋葉寺山門秋葉神社の下社から来る山道にある山門です。
上社からの山道の山門は別にあります。

 

その3(秋葉寺と火祭りについて)

御祭神は三尺坊(秋葉三尺坊大権現)と聖観世音菩薩。
三尺坊は、遠江天狗の総帥と言われる神仏習合の神です。

26歳の時に大阿闍梨になり、さらに修行を積みました。
翌年、一切衆生を願って不動三昧の秘法の修行(護摩修行)をしました。

この護摩修行が萬行を迎えた21日目の暁、三尺坊に烏形両翼(うぎょうりょうよく)の翼が生え、羂索を持つ迦楼羅に変身したのだといいます。
―以上秋葉寺HPより抜粋です―

火祭りは、火防鎮護のお霊威がさらに増すことを願って、火防天狗秋葉三尺坊大権現に七十五膳を献供する儀式が中心になっています。
読経行列や小餅撒きのあと、寺の境内で、火渡りが行われます。

秋葉寺火祭り胸元にあるのが8畳の凧です。
炎の勢いで、空高く飛びます。

積み上げられた護摩壇に一人の僧が立ち、真神殿のご神木の杉の梢の下で焚かれた神火によって四方から火がつけられます。
僧は8畳の大きさの凧を持ち、炎の中で真言を唱えます。

燃え上がった火の勢いで、凧が舞い上がります。ここで、飛び降りる僧に対して周りから「まだまだ」「まだまだ」と掛け合いが入ります。

紅蓮の炎が舞い上がる中、僧がやっと護摩壇から脱出します。
これは、四天の荒行と呼ばれています。

秋葉寺火祭り護摩壇も四方から火が付けられ、四天の荒業が始まります。

 

その4(縁)-2

水窪の同級生のお宅に、夏再訪問する機会があったので、やはり同級生とともに訪問しましたが、私の目的は、同級生のお父さんにお話しを聞くことでした。
お父さんが火祭りに参加していた写真のアルバムも見せていただき、その時の様子をお伺いすることができました。

今から10年ほど前護摩壇に登って、紅蓮の炎の中で凧を上げていたそうです。

「えっ、僧として実際に乗っていたんですか」
「いいや、僧でもなんでもなくて、昔から縁があって、秋葉寺の手伝いをしていた。護摩壇に乗ってみろと言われたから、乗ってみた」
「・・・」
「あの凧も8畳あってね、最初は障子紙を貼り合わせて飛ばしていたんだが、うまく飛ばせない。だから、私が自費で作ったんだ。3年分はあったね」

一般の方が、こんな荒修行に参加するなんて、しかも危険な護摩壇に乗るなんて、さらに凧を自腹で作って・・・。想像もしていませんでした。

「凧を放つタイミングは、本人任せなんだ」

凧は全くの無文字で白紙であり、これもご利益があるとされて参詣者の間で奪い合いになることも多いそうです。

秋葉寺火祭り護摩壇が燃え盛る中、周りからは「まだまだ」と激励?の声が掛かります。

護摩壇に乗って火を焚くのは修行の一環ですが、他には「出た煙が上空で渦を巻き本堂に入る様子で、来年の作柄を占うんだよ」
このことは、どの資料を探しても、出ていません。
当事者ならではの知識ですね。

 

秋葉寺の大護摩供養 詳細情報

秋葉寺の火まつり「大護摩供養」と「火渡り」

開催日 毎年12月15日、16日
開催時間 9:00~翌日0:00
会場 秋葉神社・秋葉寺
会場住所 浜松市天竜区春野町領家848‬
電話 秋葉山本宮秋葉神社電話:053-985-0111
秋葉山秋葉寺電話:053-985-0010
天竜区観光協会 春野支部:053-983-0001
見学料 無料
駐車場 無料駐車場あり
アクセス ●東名「浜松I.C」「浜松西I.C」から約60分
●新東名「浜松浜北I.C」から約60分

 

あとがき

来る12月15日・16日に秋葉寺の火祭りは行われます。

両日同じような流れで行事が進行していきます。
厳密には15日は、全国各地の火祭りにお回りになられる三尺坊様をお送りする儀、 16日はお戻りになられる三尺坊様をお迎えする儀です。

どちらの日でも構いません。
是非おいでになって荘厳な行事を体験下さい。

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秋葉寺火祭り

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この記事を書いたひと

山下清生

山下清生

浜松工業高校デザイン科卒。
3年間印刷会社でデザイナーを経験したあと、ヤマハ発動機(株)勤務。
定年を迎えましたが、引き続き勤務中。

だから、昔から好きだった絵を描くことを再開しました。
(まだ5年くらいは働きますが・・・)
今、描きたいものが、たくさん目の前に現れています。
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<受賞歴>
2020年 2月 「浜松市芸術祭第67回市展」入選
2020年11月 「日本国際水彩画会秋季秀作ネット展2020」入選
2021年 4月 「第21回日本国際水彩画交流展」入選
2021年 6月 「第4回日美展・絵画部門」入選
2021年 9月 「第45回記念新日美展」佳作入賞
2021年11月 「JIWI秋季国際水彩画展2021」入選
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◆絵だけでなく小説の執筆活動にも挑戦していました。

1996年(平成8年) 作品「こちら何でも相談室」創元推理短編賞 
2001年〜2005年頃 掛川市大須賀に在住のミステリー作家の「木谷恭介」に弟子入りして、木谷工房に参加
         「玉沖好也(たまおきよしや)」というペンネームで一部下書きとアイデア出し、表紙を担当させていただきました。
2012年(平成24年) 作品「二俣城備忘録」伊豆文学賞 
2020年(令和 2年) 作品「二俣城攻防録」ふじのくに芸術祭2020文学部門小説の部 奨励賞
2021年(令和 3年) 作品「潮流(万石事件)」ふじのくに芸術祭2021文学部門小説の部 入選