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堀江藩を巡る情景 第2弾「万石事件」

 2021/09/22
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堀江藩を巡る情景:龍泉寺山門

堀江藩を巡る情景の第2弾になります。

第1弾は戦国時代の大澤家の情景をお送りしました。
今回は、大澤家の没落の原因となった「万石事件」を中心にお送りします。

 

大澤家の没落

藤原氏の血脈に連なる皇族木寺宮の血を引く母を持つ大澤家の第10代・基宿は天正16年(1588年)に従五位下・侍従に叙任されています。

関ヶ原の戦い後は敷知郡堀江村など6か村で1550石を安堵されています。
江戸幕府と朝廷との折衝に当たり、吉良義弥とともに「高家」の職務を務めた最初の人物とみなされています。
(赤穂浪士討ち入りの吉良上野介と同じ職務です)

慶長14年(1609年)には従四位下・右近衛少将、のち近衛権中将に昇叙。
更に基宿の子・基定は公家の持明院家の婿養子として同家を相続しています。

江戸時代を通して大澤家は、高家としてその領地と地位を維持してきました。
しかし明治の激変に翻弄されて、没落していきます。

 

「大澤基寿(もとすみ)」

堀江藩を巡る情景:大澤基胤

幕末から明治維新の頃の当主である第20代・大沢基寿(もとすみ)は、和宮親子内親王降嫁に際してはその付添役を務めました。
徳川慶喜の大政奉還ではその旨を朝廷に伝奏する重責をになっていました。
さらに新政府軍の東征に際してその案内役を務めたことにより、新政府から従来どおりの堀江領3550石の知行を許されました。

明治元年(1868年)8月に新政府に対して行った検地報告で、敷知郡16村・豊田郡1村・山名郡1村からなる堀江領は実高5485石に過ぎなかったものの、基寿は浜名湖の湖面の一部を「開墾予定地」として架空の新田内高4521石を計上、都合1万6石という虚偽の報告を行ないました。

新政府は、裏付けも取らないで額面通り受理、その結果堀江領は一万石以上の諸侯(大名)になり、同年9月18日に基寿は晴れて堀江藩主として認められました
さらに、華族の身分を得ることができました。

版籍奉還で藩から県になり、華族の身分を得て、大沢基寿(もとすみ)は県知事となりました。
この廃藩置県当時現在の静岡県内に存在したのは、韮山県(伊豆国)・静岡県(駿河国と遠江国の大部分)と、この堀江県の3県だけでした。

表高3550石の高家にすぎない大澤家の取って付けたような1万6石への石直しはあまりにも無茶なものです。
そこで新政府が再調査を行ったところ、報告の虚偽が露見してしまいました。
同年11月、基寿には士族へ落としたうえ禁錮1年、実際の虚偽申告を行った家臣5名は平民へ落としたうえ禁錮1年半という処罰が下ります。
また堀江県は、静岡県(当時)西部の遠江国部分を分割して新設した浜松県に合併され、大澤家20代約500年わたるこの地の支配は幕を閉じることになりました。

大澤基寿の実際の写真からイラストにしました。
白黒なので、色は想像でつけました。
大名から華族、藩主から県知事になるのが希望でしたが、5485石から1万6石の虚偽申請が露見し、一気に平民への没落の憂き目のあった大澤基寿の憂鬱が写真に表れているような気がします。
いつの写真かはわかりませんが、そのように感じました。

万石事件が露見しなければ、もしかしたら静岡県ではなく、今の地名が堀江県になっていたかもしれません。

参考資料 『静岡県史 通史編5 近現代1』
p75-85 「旗本領から堀江藩への転身」の項の中に、大沢基寿の知行石高虚儀事件の記述あり。

 

「堀江藩の藩札」

堀江藩を巡る情景

遠州 堀江藩 金壱分 藩札です。

明治新政府は、大名が領地と領民を天皇に返上する「版籍奉還」を実施しました。
それまでの藩主は藩知事になります。
浜松が所属する駿府藩は静岡藩となりました。

この頃は江戸から来た士族に職を与えようと三方原の開拓が大規模に行われ、士族の屋敷が数百軒も建ったといわれています。
士族は新しく赴任したわずか6歳の藩主・徳川家達(いえさと)のために懸命に開墾に励んだのです。

一方、堀江藩はそのまま存続。
藩主の大澤は原野の開拓や浜名湖の干拓を計画、藩札(紙幣)まで発行しました。

大澤家は舘山寺周辺を支配していました。
御殿山の西側には舘山寺の門前町が賑わい、門前町と御殿の間には堀割(水路)が引かれ多くの船が停泊してしていました。
湖面を渡る水上交通を把握し、浜名湖の漁業や海苔やイグサの養殖の利権も得ていました。

潤沢な利益をある方法があっても、虚偽申請の差を埋めるための浜名湖の干拓のために、莫大な資金が必要だったでしょう。
藩内しか使用できない藩札であっても、流通には不可欠なものだったんです。
藩札が流通できるということは、大澤家の信用が絶大で、お金はいくらでも手配できる。
そんな背景があればこそ、虚偽申請してでも石高をあげて、どうしても大名になりたいと考えたのかもしれません。

参考資料 舘山寺内案内看板
静岡新聞 Net de びぶれ どい~ら浜松

 

「法泉寺山門」

堀江藩を巡る情景:法泉寺山門

 

万石事件のために、藩は解体されました。
堀江陣屋(堀江藩の家屋敷)は明治13年(1880年)に競売にかけられました。

旧領主の影響力を憂慮する政治的判断によって遺構は全て藩外に移され、競売額は555円でした。
現在の価格だと幾らになるんでしょうか・・・。

法泉寺(湖西市新所)が表門と長屋を山門を譲り受け、使用していて、唯一現存している遺構です。

ー以下は法泉寺山門脇の案内看板より抜粋ー
法泉寺山門は江戸時代末、堀江の大澤基寿の門を移築したものと伝えられる。
長屋門の形式。移築前本来の建築年次不詳。桁行三件、入母屋造り、桟瓦葺。妻は壁とし、前から一間入ったところに戸口を構える。
戸口の部分は主戸口と両脇との三間に分かれる。
長屋門は近世以降武家邸宅に造られた、長屋に付随した門である。
廃藩置県の時に虚偽は露見し、大澤家は没落した。
大澤旧艇は競売され、新所小学校に、門は法泉寺に移築された。

湖西市教育委員会
湖西市文化研究協議会

参考:新所小学校に移築された大澤旧邸は老朽化のため、取り壊しされて現存しません。

 

「龍泉寺山門」

堀江藩を巡る情景:龍泉寺山門

戦国時代、舘山寺周辺には堀江城のほかに佐田城がありました。
その二つの城主は資料が少なくよくわからないそうです。

城主の名前は、中安兵部少輔(定安)・大澤左エ門(基胤)の2領主です。

中安兵部が城主であった佐田城は、大永2年(1522年)落城しました。
その後堀江城主として数十年その地を治めていました。

しかしここでいう堀江城とは大澤氏の堀江城なのか、それとも領民達が佐田を改めて堀江村と称したことから、佐田城のことを堀江城というようになったのか。
中安氏が城主になったのは、佐田城だったかもしれません。

その中安氏は永禄3年(1560年)3月に、菩提寺として大草山の山頂近くに龍泉寺を建てました。

天正5年(1577年)に内山(庄内町)に移転しました。
中安兵部の下屋敷が内山にあったからです。
大草山の寺跡は「龍泉寺台」といって今に伝えられています。

移転後本堂などは改築されたが、山門だけは原形のまま四百余年の経た今日でも昔の姿を見せています。
ここも堀江藩に関係した建物なので、取り上げてみました。

元亀元年、家康に従って江州姉川の合戦に参戦し、大澤氏の同族中安兵部は華々しく戦死したと「四戦紀聞」の「江州姉川合戦記」に書かれています。
取材で龍泉寺にお邪魔した時、住職にお会いすることができました。
詳しい事情をお聞きしましたが、最近来られたご住職で、山門の経緯はご存じないとのことでした。
歴史好き方々が時折ここを訪れるそうです。

参考資料:堀江城物語ー舘山寺温泉ー

 

ご紹介の施設詳細情報

龍泉寺

浜松市西区「龍泉寺」アクセス

住所 静岡県浜松市西区庄内町736
宗派 曹洞宗
アクセス バス JR浜松駅北口バスターミナル「村櫛行き」乗車 約55分→「庄内」下車→徒歩約5分
JR浜松駅方面から県道325号線経由→319号線で北西方向に進む 約35分

 

法泉寺

shop系の説明文エリア

住所 静岡県湖西市新所2785
宗派 臨済宗妙心寺派
アクセス JR浜松駅から国道1号線経由 約50分

 

堀江藩を巡る情景 第2弾を描いて

堀江藩を巡る情景の第2段「万石事件」をお送りしました。

戦国時代以前から栄え、継続してきた大澤家です。
明治という時代の中、廃藩置県という大きな変化に無理して乗ろうとして起こした「万石事件」は歴史にその名を残しています。
(※石ノ森章太郎の漫画の「日本の歴史」にも掲載されています)

浜松でもこの事件を知る人はあまりいらっしゃらないと思い、取り上げてみました。
次回は堀江藩を巡る情景の第3段「夢の痕」をお送りします。

 

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この記事を書いたひと

山下清生

山下清生

浜松工業高校デザイン科卒。
3年間印刷会社でデザイナーを経験したあと、ヤマハ発動機(株)勤務。
定年を迎えましたが、引き続き勤務中。

だから、昔から好きだった絵を描くことを再開しました。
(まだ5年くらいは働きますが・・・)
今、描きたいものが、たくさん目の前に現れています。
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<受賞歴>
2020年 2月 「浜松市芸術祭第67回市展」入選
2020年11月 「日本国際水彩画会秋季秀作ネット展2020」入選
2021年 4月 「第21回日本国際水彩画交流展」入選
2021年 6月 「第4回日美展・絵画部門」入選
2021年 9月 「第45回記念新日美展」佳作入賞
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◆絵だけでなく小説の執筆活動にも挑戦していました。

1996年(平成8年) 作品「こちら何でも相談室」創元推理短編賞 
2001年〜2005年頃 掛川市大須賀に在住のミステリー作家の「木谷恭介」に弟子入りして、木谷工房に参加
         「玉沖好也(たまおきよしや)」というペンネームで一部下書きとアイデア出し、表紙を担当させていただきました。
2012年(平成24年) 作品「二俣城備忘録」伊豆文学賞 
2020年(令和 2年) 作品「二俣城攻防録」ふじのくに芸術祭2020文学部門小説の部 奨励賞
2021年(令和 3年) 作品「潮流(万石事件)」ふじのくに芸術祭2021文学部門小説の部 入選