【姫街道編】地元の残したい風景5選(1)
浜松市には、昔から変わらない情緒豊かな自然や建物などが現存しています。
今回we love 浜松の読者の皆さまにお届けするのは、北区気賀の「姫街道周辺」の風景です。
宿場町・関所で賑わった浜松の要所でもあります。
時代は平成を経て令和になりました。
これから先もずっとこのままの姿が残されている事を願って描きました。
浜松について何か感じていただけるひと時になりますように!
この記事の見出し
姫街道とはどんな街道?
姫街道は、浜名湖の北側や本坂峠を経由して、東海道見附宿と東海道御油宿を結ぶ、道程約60キロメートルの街道です。
江戸時代には東海道に付属する街道とされ、幕末頃から姫街道の呼称が定着しました。
東海道の本道である今切の関所での取り調べ、舟での渡海、もしくは「今切」の語の縁起が悪いことを嫌って、この街道(姫街道)を利用した女性が多かったからだそうです。
(諸説あります)
今回は、気賀の関所から、姫街道の一部(浜松市内)の残したい風景をお届けします。
気賀関屋跡 本番所
気賀の町中に「気賀四ツ角」という交差点があります。
ここは、気賀宿の東の入り口にあたり、その交差点の北の角に「気賀関所 本場所」と書かれた案内看板があります。
案内看板の横には、人がやっと通れる小さな路地があります。
10mほど進むと、古い井戸を発見します。
その横にまた案内看板があり、上を見ると、この屋根が目に飛び込んできます。
当初ここにあった気賀関所は、今は移築されています。
ここに残っているのは、屋根を含む勝手の間の部分だそうです。
細江町指定文化財(建造物)として指定をうけています。
昭和35年まで、ここに本番所が残されていたそうで、これを眺めながら、江戸時代の風景を想像するのも楽しいと思います。
気賀関所
『気賀関所』は、東海道の新居関所の裏番所として姫街道の往来を監視していました。
現在は細江警察署や北区役所・天竜浜名湖鉄道の気賀駅などが集まっている中心地に、『気賀関所』はあります。
◆慶長6年(1601年)に東海道宿駅の制度が徳川幕府によって定められ、この街道を「東海道本坂越」(俗称は姫街道)と名づけられました。
街道の主な目的としては、危険な浜名湖今切れの渡しを避けることにありました。
箱根、今切(新居)の関所とともに江戸に対する重要拠点となりました。学校の授業でも知られている、「入鉄砲に出女(でおんな)」の監視が主な任務でした。
他にも、一般往来者、囚人、手負、乱心、死骸や商荷物(あきないにもつ)などの監視も併せた、政治性の強い警察的な役割も担っていました。◆明治2年(1869年)の関所廃止令により、『気賀関所』もその長い歴史の幕を閉じました。
◆平成2年(1990年)『気賀関所』は移築して、現在の場所には復元されました。
(気賀関所HPの文章の一部抜粋・編集)
絵のアングルなんですが、いつもと違う風景を描きたくて、数年前に向かいにある細江警察署の建物から撮影した写真をもとにしています。
写真を撮るときには、警察の方が一緒に立ち会いのもとで撮影させていただきました。
緊張しました・・・。
気賀の犬くぐりの道とむしろ
気賀神社の裏の道に『犬くぐりの道』という案内看板があります。
その横に、むしろを垂らしてある木の門があります。
気賀関所を通行するためには、この町の人々さえ、通行手形が必要でした。
しかも、夕方6時には門が閉められ、朝6時にならないと開けられなかったため、農民たちは大変不便でした。そこで、『犬くぐり』と呼ばれる幅の狭い抜け道が作られ、犬が通る道として黙認されたそうです。
犬くぐり道には、むしろを垂らした門があり、約50㎝ほど開いているだけで「犬ならばくぐることができる」けれども、人は立ったまま通ることができないので、むしろの下をくぐって通ったそうです
(以上案内看板の文章一部抜粋・編集)
関所が黙認していた農民の抜け道ですから、武士は決して通らず、旅人がここを通るのを見つけた場合、容赦なく関所へ突き出したそうです。
江戸時代の農民と武士との交流と、掟に対する知恵が垣間見える場所です。
『犬くぐり道』は、細江神社の真裏の公道にあります。
姫街道の峠道「小引佐の石畳」
ここは、姫街道の中でも、景色のよい場所です。
(ここから見える風景は、次回の姫街道編(2)でUPさせていただきます。)
姫街道も奥浜名湖オレンジロードという名称の、広い道路に変わっている箇所もありますが、ここはそのオレンジロードから姫街道へ入る分岐点になっています。
姫街道は、幅員が狭く、さらに石畳になっているので、車が通行できない箇所が多いですが、ここには民家もあるので車の出入りもできる場所となっています。
石畳が、姫街道の名残を見せています。
山村修理(やまむらしゅり)の墓
下気賀の交差点を北へ行き、右にカーブする途中から、姫街道へ入ります。
そこから200mほど坂道を行くと、『山村修理の墓』があります。
以前、天竜浜名湖鉄道編で紹介させていただいた堀川城。
永禄12年(1570)に今川家の家臣であった山村修理らは、徳川軍に抵抗し、1600名の農民とともに堀川城へ立てこもりました。
しかし一日で落城。
兵士、農民含め約700人が処刑されています。
落城の時、船で逃れた山村修理は、この地で、燃え落ちる堀川城を見ながら、切腹したと伝えられています。
墓の入り口には、「堀川城戦死之碑」も建てられています。
山村修理が、落城の堀川城を見て、山の中で切腹、という資料しか今まで見ていませんでした。
姫街道を歩いて、これを見つけた時には「こんなところにあったんだ」と感無量で、しばらく戦国時代にトリップしていました。
ご紹介の施設の詳細情報
気賀関屋跡 本番所
住所 | 浜松市北区細江町気賀11561-2 |
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見学時間 | 自由 |
駐車場 | なし |
アクセス | 電車 遠州鉄道「新浜松駅」から乗車約32分→終点「西鹿島駅」下車→天竜浜名湖鉄道に乗り換え乗車約30分→「気賀駅」下車→徒歩約3分 |
気賀関所
住所 | 浜松市北区細江町気賀4577 |
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電話 | 053-523-2855 |
開館時間 | 9:00 ~ 16:30 |
定休日 | 年中無休 ※年末年始は休館 |
入場料・拝観料 | 大人 150円 中学生以下無料 70歳以上無料 ※生年月日の確認できるものを提示 |
駐車場 | 西隣りにある「浜松市奥浜名湖田園空間博物館総合案内所駐車場」に駐車 |
アクセス | 電車 遠州鉄道「新浜松駅」乗車→「西鹿島駅」下車→天竜浜名湖鉄道乗換え→「気賀駅」下車→徒歩約3分 車 ●JR浜松駅方面より舘山寺街道 と 県道49号 経由約35分 ●東名「三ケ日I.C」より県道320号 経由約15分 ●東名「浜松西I.C」より県道320号 経由約15分 ●新東名「浜松いなさI.C」より 県道303号 まで 国道257号→県道320号 経由約20分 |
公式HP | http://www.kigasekisho.com |
気賀の犬くぐりの道
住所 | 浜松市北区細江町気賀1022 |
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見学時間 | 自由 |
駐車場 | なし |
アクセス | バス JR浜松駅北口バスターミナル 遠鉄バス40番気賀駅前行き乗車約40分乗車→「呉石」下車→徒歩約4分(バス停横から入ります。) 車 JR浜松駅より舘山寺街道経由約43分 |
姫街道の小引佐の石畳
住所 | 浜松市北区細江町気賀9978-10 |
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見学時間 | 自由 |
駐車場 | なし |
アクセス | バス JR浜松駅北口バスターミナル 遠鉄バス40番三ケ日車庫行き約1時間乗車→「西気賀」下車→徒歩約10分 電車 ・徒歩天竜浜名湖鉄道「西気賀駅」→徒歩約10分 車 JR浜松駅より舘山寺街道経由約43分 |
山村修理(やまむらしゅり)の墓
住所 | 浜松市北区細江町気賀9319 |
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見学時間 | 自由 |
駐車場 | なし |
アクセス | バス JR浜松駅北口バスターミナル 遠鉄バス40番三ケ日車庫行き約1時間乗車→「よし本」下車→徒歩約8分 電車・徒歩 天竜浜名湖鉄道「西気賀駅」→徒歩約19分 車 JR浜松駅より舘山寺街道経由約45分 |
半日ぶらりが楽しめます
今回ご紹介の施設は、以下のような距離感で点在しています。
●「気賀関所跡」→徒歩約6分→「犬くぐり」
●「気賀関所跡」→徒歩約12分→「気賀関所」
●「気賀関所」→徒歩約12分→「犬くぐり」
●「犬くぐり」→天浜線約20分乗車→「小引佐の石畳」
●「小引佐の石畳」→徒歩約8分→「山村修理の墓」
駐車場がないので、できれば天浜線やバスを利用しての訪問がベストです。
江戸時代の旅人気分で、ぶらり旅を楽しんでみてはいかがでしょうか。
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