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【秋葉街道沿い編】地元に残したい風景・第1弾

 2019/08/22
学ぶ この記事は約 8 分で読めます。
秋葉街道沿い編 地元の残したい風景

姫街道、東海道、天竜浜名湖鉄道沿線等、さまざまな街道を巡ってきました。

次に選んだのは・・・。
信州や三河、県内では掛川や浜松などに何本かある「秋葉街道」です。
火防の神として、全国的に知られる秋葉神社へ通じる街道が「秋葉街道」になります。

今回は、秋葉街道のひとつでもある二俣街道とその周辺の残しておきたい風景をご紹介します。

 

秋葉街道とは?

秋葉神社本宮は、現在の静岡県浜松市天竜区春野町にあり、標高866mの秋葉山の山頂付近にある神社です。
全国各地にある秋葉神社の事実上の起源とも言われています。

秋葉山三尺坊(あきばさんじゃくぼう)は遠江地方の天狗の総帥といわれています。

江戸時代の頃から庶民の厚い信仰の対象となり、各地から秋葉神社参りが盛んでした。

秋葉山へ向かう道は、いくつもありましたが、主なルートとしては以下が挙げられます。

1)信州方面から青崩(あおくずれ)峠・水窪(みさくぼ)等に南下するルート
2)三河から御油宿・鳳来等を通るルート
3)関東方面から掛川宿を通るルート
4)浜松宿から北上し貴布祢(きぶね)・鹿島を通り天竜川を渡って二俣等を通るルート

以前から、交易などや戦国武将の進軍のために切り開かれ利用されていた道ですが、秋葉神社参りで多くの人の行き来がありその後「秋葉街道」と呼ばれるようになったようです。

昔は「二俣街道=国道152号線=秋葉街道」でした。
都市開発が進みバイパスや道路拡張などがあり、国道152・県道296・県道391と途中から変わったり、二俣街道と秋葉街道が別の道になったり、(最終的には合流しますが)現在に至るまで道が変化してきています。

今回は国道・県道名は略して、秋葉街道の名称で統一します。

蛇足ですが、東京の秋葉原は、秋葉神社があることから命名されたようです。
地元に総本山があるだけに、ちょっと鼻が高いですね。
天狗になってはいけませんが・・・。

 

秋葉神社常夜灯

秋葉街道沿い編 地元の残したい風景

火事の多かった江戸時代以前から、庶民を中心に、火の神を祀って火事から守るために火伏せの祈りを捧げきました。

秋葉信仰が盛んになった江戸時代中期ごろから、伊勢参り・金毘羅参りと同様、秋葉参りが盛んになりました。
そのため、秋葉神社へ詣でる道に常夜灯が設置されました

常夜灯は、「秋葉信仰の祈りの対象」と「秋葉街道の道しるべ」としての2つの役割がありました。

秋葉参りは、遠距離の庶民にとっては実に経済的負担が大きいものでした。
秋葉講(宗教的な互助組織)を作って、代表者が参拝に詣でるようになりました。

秋葉参りの道案内としての常夜灯は、秋葉神社に向かう道には、必ず建てられています。

 

秋葉信仰二の鳥居

秋葉街道沿い編 地元の残したい風景

遠州鉄道小松駅のすぐ北の小松東町交差点に、秋葉信仰の「二の鳥居」として親しまれている「秋葉大鳥居」があります。

文政5年(1822)の建造。
高さは7.3m、石柱の周囲は2.1mと、石造りの鳥居としては遠州地方でも最大級の大きさになります。
浜松市の文化財にも指定されています。

大鳥居の足元に、秋葉神社龍灯があります。
「正一位秋葉大権現」ののぼりを立てて毎年1月28日に「小松鳥居祭」を行っています。

二の鳥居があるならば、一の鳥居もあるはずですが、現在はありません。
一の鳥居は今のビオラ田町とりそな銀行浜松支店の間に、青銅製の大鳥居あったのですが、太平洋戦争の金属の提出の対象となり撤去されてしまったということです。

 

秋葉神社龍灯

秋葉街道沿い編 地元の残したい風景

秋葉街道沿いに秋葉常夜灯とともに多くあるのが、秋葉神社龍灯です。

風雨から灯を守るため、彫刻を施した鞘堂(さやどう)に納められた常夜灯は「龍灯」と呼ばれています。
秋葉街道は、メインの街道のほかにいくつも枝分かれして、秋葉神社に誘う常夜灯や龍灯が建っているので、その数はわかりません。

ここは、二の鳥居の足元に建てられたものです。

内部の常夜燈には「明和五戊子六月吉日」「永代常夜燈」「右あきはみち」「願主小松村中」と刻まれています。

龍灯の中を覗いてみました。
常夜灯がしっかり入っているのもありますが、電球だけだったり、秋葉神社のお札が祀られていたりと、色々です。

浜松市内では、常夜灯や龍灯が各地にみられます。
昔はその先に秋葉神社があり、夜道を照らし秋葉講の無事な道中を見守る、そんな風景が自然と湧いてきます。

 

天宝堤

秋葉街道沿い編 地元の残したい風景

ここは、天竜川の氾濫を防いだ堤防です。

天竜川は、その昔、麁玉河(あらたまがわ)ないし荒玉河と呼ばれていました。
古くから暴れ天竜と恐れられ、多くの洪水をおこしました。
その治水対策はいろいろな場所で見られます。

以下は説明看板からの一部抜粋です
「奈良時代の出来事を記した『続日本紀』には、堤が900mほど決壊したので、延べ30万3千7百人あまりの人夫を挑発し、食糧を与えて修築したという記録がみられます。

江戸時代から、道本とその周辺に残る堤がこの記録にあたるものと考えられ、修築した年である天平宝字5年(761)にちなみ、天宝堤と呼ばれていました。
天宝堤は、昭和初期には長さ450mあまりがあったとされます。
現在はその多くが失われ、長さ17.5m、幅9m、高さ1.2mほどの高まりが残っています」

当時は、この秋葉街道まで、天竜川が迫っていたのでしょう。
堤に植えられた葉が茂った大木で、その歴史と力強さを垣間見ることができます。

この史跡も浜松市指定史跡になっています。

 

旧浜名用水取入口

秋葉街道沿い編 地元の残したい風景

天竜川にかかる鹿島橋を渡るときに、必ず旧浜名用水取入口が目に入ります。

ここは、国営天竜川農業水利事業で造成された、農業用水確保のための用水取入れ口です。

造られたのは、昭和17年(1942)~昭和21年(1946)です。
さらに昭和30年(1955)に上部部分が増築されています。

天竜川の水位がこの取入れ口まで達しないと、水が取り込めないなど、農業用水の確保に苦労があったそうです。
その後、船明ダムが完成して、ダム湖から取水することができたことで、その役目を終えることになりました。

現在使用されていなくても、この外観の存在感は圧倒されます

この取り入れ口の上を通る道沿いには、石碑があります。
その横には天竜川下流の治水事業に貢献した金原明善翁(きんぱらめいぜん)の胸像があります。

明治に入っても天竜川の氾濫で苦しんでいる人たちのために、私財を投げうって治水事業を進めてくれた郷土の偉人です。
すぐ隣には納涼亭といううなぎ屋があります。

 

ご紹介の施設情報

秋葉神社常夜灯

橋爪西常夜灯

住所 浜松市東区積志町170-2
橋爪西公会堂脇
見学時間 自由
駐車場 なし
アクセス 電車 遠州鉄道「積志駅」→徒歩約7分
JR浜松駅から国道152号または二俣街道経由→約26分

 

秋葉信仰二の鳥居・秋葉神社龍灯

秋葉大鳥居・秋葉神社龍灯

住所 浜松市浜北区小松4611-1
小松東町公民館側
見学時間 自由
駐車場 なし
アクセス 電車 遠州鉄道「新浜松駅」→「遠州小松駅」下車→徒歩約3分

 

天宝堤

天宝堤

住所 浜松市浜北区道本
見学時間 自由
駐車場 なし
アクセス 電車 遠州鉄道「新浜松駅」→「小林駅」下車→徒歩約4分
JR浜松駅から国道152号または二俣街道経由→約26分

 

旧浜名用水取入口

金原明善像・浜名用水取水口跡

住所 浜松市天竜区二俣町鹿島
見学時間 自由
駐車場 金原明善像の側に
アクセス 電車 遠州鉄道「新浜松駅」→「西鹿島駅」下車→徒歩約14分
JR浜松駅から国道152号線経由 約45分
公式HP

赤電に乗って秋葉街道沿いにある風景を巡って

今回は天竜区春野町にある秋葉神社へと続く道「秋葉街道」に設置された常夜灯などにスポットを当てました。

どこも遠鉄電車沿線上にある浜松市指定史跡です。
1日周遊きっぷ等を使ってゆっくり巡ってみませんか。

いつもの風景で見過ごしてしまいがちな場所も、さまざまな歴史を感じることができますよ。

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この記事を書いたひと

山下清生

山下清生

浜松工業高校デザイン科卒。
3年間印刷会社でデザイナーを経験したあと、ヤマハ発動機(株)勤務。
定年を迎えましたが、引き続き勤務中。

だから、昔から好きだった絵を描くことを再開しました。
(まだ5年くらいは働きますが・・・)
今、描きたいものが、たくさん目の前に現れています。
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<受賞歴>
2020年 2月 「浜松市芸術祭第67回市展」入選
2020年11月 「日本国際水彩画会秋季秀作ネット展2020」入選
2021年 4月 「第21回日本国際水彩画交流展」入選
2021年 6月 「第4回日美展・絵画部門」入選
2021年 9月 「第45回記念新日美展」佳作入賞
2021年11月 「JIWI秋季国際水彩画展2021」入選
2022年 1月 「浜松市芸術祭第69回市展」入選
2022年 6月 「第5回日美展 絵画部門」優秀賞
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◆絵だけでなく小説の執筆活動にも挑戦していました。

1996年(平成8年) 作品「こちら何でも相談室」創元推理短編賞 
2001年〜2005年頃 掛川市大須賀に在住のミステリー作家の「木谷恭介」に弟子入りして、木谷工房に参加
         「玉沖好也(たまおきよしや)」というペンネームで一部下書きとアイデア出し、表紙を担当させていただきました。
2012年(平成24年) 作品「二俣城備忘録」伊豆文学賞 
2020年(令和 2年) 作品「二俣城攻防録」ふじのくに芸術祭2020文学部門小説の部 奨励賞
2021年(令和 3年) 作品「潮流(万石事件)」ふじのくに芸術祭2021文学部門小説の部 入選