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徳川家康を巡る情景2「反撃 犀ヶ崖(さいががけ)」

 2021/01/13
学ぶ この記事は約 10 分で読めます。
反撃 犀ヶ崖(ジオラマ)

徳川家康を巡る情景の第二弾は、「反撃 犀ヶ崖」です。
1573年、武田信玄が率いる武田軍と徳川・織田の連合軍が現在の静岡県浜松市北区三方原町近辺で戦った三方ヶ原の戦いで大敗した家康。
逃げ帰った夜、武田軍に対して夜襲を仕掛けたのが浜松城の西北方向に約2kmの場所にあるのが「犀ヶ崖」です。

今回は『犀が崖』を巡る情景を掲載します。

 

「反撃 犀ヶ崖(ジオラマ)」

反撃 犀ヶ崖(ジオラマ)

 

三方ヶ原の戦いで敗戦の徳川軍

元亀3年12月22日(1573年2月4日)「三方ヶ原の戦い」で武田信玄に大敗した徳川家康。

家臣の反対を押し切って無理な合戦に挑んだ家康は、這う這うの体(ほうほうのてい)で浜松城へなんとか逃げ帰ります。
この戦い、武田信玄の圧倒的な強さに完敗でした。
家康は討ち死される寸前で家臣を自分の身代わりとして、自分の鎧や馬を家臣に託し、浜松城へ逃げ帰ります。

この後武田軍が、浜松城へ攻撃を仕掛けることは確実でした。
逃げ帰った直後の軍議では、三河吉田城(現・愛知県豊橋市)に退却する案も出ました。
しかし大久保忠世、石川数正、天野康景ら百余人と鉄砲組16人で夜になってから浜松城を出陣し奇襲を行うことにしました。

そこで、まずは城門をすべて開けて、かがり火を焚き、あえて城内へ武田軍を進入しやすいようにしました。

これは、敵の警戒心を誘う空城の計(くうじょうのけい)というそうです。
兵法三十六計の第三十二計にあたる戦術で、「三国志演義」では諸葛孔明が、「史書」では趙雲が使った戦法として有名です。

 

攻めるのを中断した武田軍

攻めてきた武田軍は、城門が開いて侵入しやすい浜松城の様子を見て、罠かもしれないと判断。
突入するのをやめて引き上げて、浜松城から西北へ約2キロの地点の犀ヶ崖付近に、兵の一部を集めて野営しました。

 

犀ヶ崖の戦い

夜半に奇襲攻撃を行うと決めた家康。
武田軍が野営している付近にある犀ヶ崖の断崖に、密かに白布を架けてあたかも橋があるように見せかけます。

夜半になり、犀ヶ崖近くの普済寺に火を放ち、武田軍に浜松城は炎上したと思わせました。
鉄砲隊を間道から敵陣背後に配して、一斉射撃とともに斬り込んだと伝えられています。

夜襲を受けた武田勢は慌てふためき、次々と偽物の橋を渡ろうとして、人馬もろとも断崖に転落していきました。
その数は百を超えるとも言われています。
これを聞いた本陣の信玄は、「勝ちても怖き相手」と20歳年下の家康を評したと伝えられています

一説には家康軍が雪の原に見せかけて谷の上に布を敷いたともいい、布橋という地名はその奇策に由来するとも伝わりますが、武田側の史料もなく、定かでありません。

 

ジオラマで表現された「犀ヶ崖の戦い」

前回投稿した「敗走」と同じ作者の作品で、細かいところまで精巧に作られているジオラマです。

顔の表情も「絶対一矢報いてやる」といった感情がにじみ出ている作品です。
小道具も精巧でいつまでも見ていて飽きない作品ですね。

このジオラマは、犀が崖資料館に常時展示されています。
ぜひ見にいってください。

参考資料:大河ドラマおんな城主直虎まちめぐりマップ(インターネット)
ウィキペディア:犀が崖日本伝承大鑑

 

「犀ヶ崖戦場の地」

犀ヶ崖戦場の地

犀ヶ崖は、浜松城から西北側およそ2kmの場所にある断崖です。
昭和14年(1939)年、三方ヶ原古戦場の一部として、静岡県の史跡に指定されています。

現在は長さおよそ116m・幅およそ29〜34m・深さおよそ13mです。
三方ヶ原の戦いがあった当時の崖の大きさや深さははっきり分かりません。

一帯は今も緑に囲まれ、犀ヶ崖の断崖は鬱蒼といた樹々に覆われ、昼間も暗い谷になっています。
展望台が設置されています。
下を見下ろせるようになっていて、その深さがわかります。
台地側の一角は犀ヶ崖公園となり、犀ヶ崖資料館を目当てにいくと、その横が犀ヶ崖になっています。

地元では子供に「悪いことをしたら犀ヶ崖に連れて行く」といって諭すのだとか。
ここは武田軍や徳川軍の兵士達が谷底へ落ちてたくさん亡くなっています。
怖い伝説として残っているようですね。

 

「犀ヶ崖戦いの碑」

犀ヶ崖戦いの碑

現在の浜松城の西北側およそ2kmの場所にある犀ヶ崖。
崖に布をかけて、橋に見せかけ夜襲で崖に武田軍の引き寄せ、大勢の武田軍を崖から転落させる策でした。

犀ヶ崖では特に武田軍の大勢の兵士がこの崖に転落し死傷しました。
武田軍の祟りを鎮める念仏が遠州大念仏に繋がっていきます。

「犀ヶ崖の戦い」以降、この付近ではうめき声が聞こえたり、虫害や疫病がはやったりして武田軍の犀ヶ崖のたたりではないかと大騒ぎになっていきました。
その騒ぎに心を痛めた家康が僧侶に怨霊を鎮めるよう頼み、僧侶は犀ヶ崖の上に祠を建てて念仏供養を7日7晩したそうです。
それ以降、騒ぎがおさまったそうです。

遠州地方では7月にお盆を迎えますが、そのお盆で行われているのが郷土芸能の一つ、遠州大念仏です。
(所説いろいろあります)

 

「犀ヶ崖資料館」

犀ヶ崖資料館

犀ヶ崖資料館は、三方原の戦いによる死者の霊をまつった宗円堂というお堂でした。
また、昭和5年(1930年)に結成された「遠州大念仏団」の本部としても、永く利用されてきました。

昭和47年(1972年)3月、浜松市は遠州大念仏を無形民俗文化財に指定。
昭和57年(1982年)、この建物を資料館として改修し、遠州大念仏及び三方原の戦いに関する資料を展示。
平成27年(2015年)4月1日、老朽化や耐震性の問題から建て替えリニューアルオープン。

この資料館は、遠州大念仏及び三方原の戦いについての理解を深め、郷土に伝わる文化遺産を後世に残していくことを目的としています。
当時の戦いを知る貴重な資料がたくさん並んでいます。
家康公が居城していたころの浜松城や浜松の様子、戦いのシーンをジオラマ展示されています。
「三方ヶ原合戦全体」「出陣」「激突」「敗走」「反撃」「戒め」「井伊直政と家康の出会い」「浜松時代の家康と秀吉との小牧・長久手の戦い」など。

その精巧さとリアルさは迫力があり、いつまで見ても見飽きない造りですます。
入場は無料で、中に入ると浜松観光ボランティアガイドの会の方々が、展示物を詳しく説明してくれます。

 

犀ヶ崖資料館へのアクセス・駐車場

浜松市役所から、浜松城公園横を通り、県道275号線に入ります。
そのまま北上して、車で5分もいかないうちに、右手に犀ヶ崖資料館が見えてきます。
入り口から左手奥に駐車場があります。

参考資料:浜松市ホームページ(インターネット)
浜松観光ボランティアガイドの会(インターネット)

 

「家康公しかみ像掛け軸」

家康公しかみ像掛け軸

このしかみ像に関しては、色々な説があります。

三方ヶ原の戦いで敗走した徳川家康は、浜松城に戻り、急ぎ画工を呼び寄せました。
そして軽挙を猛省して、敗退したばかりの自らの姿を画工に描かせ、以降、家康は身を慎んで慎重路線を通す事になったとのこと。
慢心の自戒として生涯座右を離さなかったと伝えられています。
威厳のある堂々とした権現像とは異なり、憔悴し切った家康の表情が巧みに描かれており、別名「顰(しかみ)像」とも呼ばれています。

別の説では、徳川美術館が開館(昭和10年)翌年、昭和11年1月、尾張徳川家19代目当主で徳川美術館を開いた徳川義親氏は地元の新聞社の取材で、尾張家初代の徳川義直が父・家康の苦難を忘れないように描かせたと説明していたのです。
義親氏流のリップサービスで、徳川美術館の宣伝を兼ねて・・・の話がいつのまにか「家康が描かせた」に変化したというのです。

口伝の流布や、各合戦の状況判断で、「長篠の戦いのときのもの」だとか、「狩野探幽に描かせた」「後世に想像に基づいて描かれた図」であるとか、諸説あるようです。

この軸を描いて感じたことですが、普通の写真は掛け軸の家康公を中央にレイアウトして掲載されます。
この掛け軸の家康は、下側の中央からほんのわずか左へずれた場所に描かれています。
刀も含めて全部描こうとすると、こんな感じになるかもしれませんが、ちょっと絵のバランスが悪い。
見ている方が少しもやもやと不安になる構図です。
バランスを考えると、全体的にわずかに右側にした方が、安定した絵になると感じています。
絵の家康公と同じ不安と後悔の気持ちになります。
これは、絵師の狙いなのか、下手な絵師のものか。
もし、そこまで考えて、バランスを崩して描いたのなら、天才絵師だと感じました。

参考文献:静岡・浜松・伊豆情報局(インターネット)、浜松城天守閣内展示案内看板

 

ご紹介の施設情報

犀ヶ崖資料館・犀ヶ崖戦いの碑・犀ヶ崖展望台

犀ケ崖資料館

ジオラマが展示されている地域歴史博物館「犀ヶ崖資料館」

住所 浜松市中区鹿谷町25-10
電話 053-472-8383
開館時間 9:00〜17:00
休館日 毎週月曜日
祝日の翌日(月曜が祝日の場合は翌日)
12月29日〜31日
入場料 無料
駐車場 無料駐車場あり
アクセス バス ●JR浜松駅北口バスターミナル1番のりば「舘山寺」行き乗車→「浜松北高」下車→徒歩すぐ
●JR浜松駅北口バスターミナル15番のりば「奥山・気賀」「和合・高丘」行き乗車→「浜松北高」「さいが崖」下車→徒歩すぐ
●JR浜松駅から257号線経由 約10分
HP https://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/index.html

 

浜松城天守閣

浜松城

浜松城天守閣

住所 浜松市中区元城町100-2
電話 053-453-3872
開館時間 8:30~16:30
※最終入場は終了時間の10分前まで
定休日 12月29日~31日
入場料 高校生以上200円
中学生以下無料
御城印 1枚300円 (税込)
※浜松城入城窓口で購入可
駐車場 無料駐車場あり
アクセス ●東名「浜松IC」より約30分
●東名「浜松西IC」より約30分
●東名「浜松浜北IC」より約40分
バス ●JR浜松駅北口バスターミナル 1番・13番のりばのすべてのバス 乗車→「市役所南」下車→徒歩約6分
HP https://www.entetsuassist-dms.com/hamamatsu-jyo/

 

徳川家康を巡る情景「反撃 犀ヶ崖(さいががけ)」を寄せて

今回は徳川家康を巡る情景「反撃 犀ヶ崖(さいががけ)」をお届けしました。

三方原の戦いの雪辱を、ほんの少し返した形ですが結果的に完敗でした。
若気の至り的な行動でしたが、ここから本来の慎重かつ戦略的な戦いに以降していきます。
ここから天下統一へ一歩一歩進んでいったのだと思います。

次回は徳川家康を巡る情景「引間城から浜松城へ」をお送りします。

今川勢力下で整備された引間城を基礎として、浜松城が築城されました。
引間城・引馬城・曳馬城と三つの名称がありますが、引間城に統一してます。
その由来も説明していきます。

歴代城主の多くが後々江戸幕府で重役に抜擢され、出世城とも呼ばれる浜松城。
今一度ゆっくりと見て周りのはいかがでしょう。

 

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この記事を書いたひと

山下清生

山下清生

浜松工業高校デザイン科卒。
3年間印刷会社でデザイナーを経験したあと、ヤマハ発動機(株)勤務。
定年を迎えましたが、引き続き勤務中。

だから、昔から好きだった絵を描くことを再開しました。
(まだ5年くらいは働きますが・・・)
今、描きたいものが、たくさん目の前に現れています。
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<受賞歴>
2020年 2月 「浜松市芸術祭第67回市展」入選
2020年11月 「日本国際水彩画会秋季秀作ネット展2020」入選
2021年 4月 「第21回日本国際水彩画交流展」入選
2021年 6月 「第4回日美展・絵画部門」入選

◆絵だけでなく小説の執筆活動にも挑戦していました。

1996年(平成8年) 作品「こちら何でも相談室」創元推理短編賞 
2001年〜2005年頃  掛川市大須賀に在住のミステリー作家の「木谷恭介」に弟子入りして、木谷工房に参加
          「玉沖好也(たまおきよしや)」というペンネームで一部下書きとアイデア出し、表紙を担当させていただきました。
2012年(平成24年) 作品「二俣城備忘録」伊豆文学賞 
2020年(令和 2年) 作品「二俣城攻防録」ふじのくに芸術祭2020文学部門小説の部 奨励賞