【2017年大河ドラマ「おんな城主 直虎」井伊直虎ゆかりの地観光⑫】小野但馬守政次の供養塔
NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』第33話の小野但馬守政次の最期は、かなり衝撃なシーンでした。
歴史上の井伊谷の蟹淵(静岡県浜松市)で斬首された政次の最期はわかっていたのですが、我が家は親子で見ていて呆然・・・
メディアではその後、政次ロスという言葉が飛び交っています。
高橋一生さんの演じた小野政次という人物は、大河ドラマ内では井伊家にとって憎まれても井伊家のために立ち回る重要なキーマンでした。
歴史上では井伊家の奸臣(裏切り者)として処刑された小野政次、一体どんな人物だったのでしょうか?
小野但馬守政次は、どんな生い立ち?
小野家とは?
現在の滋賀県大津市にあった近江国滋賀郡小野村周辺を治めていた豪族でした。
のちに飛鳥時代の遣隋使・小野妹子や平安時代の文人で百人一首で歌が選ばれている小野篁・小野小町を輩出した名門です。
平安時代に小野篁の息子が遠江に小野村をつくり、父・小野篁が亡くなると小野篁神社を建立したとされています。
この神社は後に篁神社→多賀村神社→多賀神社→高根神社(現・浜北区尾野)と変化していったと言われていますが、はっきりしたことはわかっていません。
戦国時代、井伊直盛(直虎の父)の祖父・直平が豊田郡小野村にいた小野兵庫助重正を召し抱え、引佐郡小野村に移り住みました。
これが井伊家との関係がはじまりだったようです。
遠江国引佐郡井伊谷の国人としてその息子小野政直が跡を継ぎ、小野村を治めていました。
生まれた年は不詳
女城主・井伊直虎の父の井伊直盛の家老を務めた小野政直の嫡男として誕生しましたが、その年は詳しく分かってはいません。
父・政直が亡くなると小野家の家督を継ぎ、但馬守になり、後に井伊直盛の養嗣子になっています。
桶狭間の戦いで弟が亡くなる
桶狭間の戦いで井伊直盛をはじめ井伊家の主要な男子が討死しました。
小野家でも小野政次の弟・朝直(通称:玄蕃)が討死しています。
小野政次はドラマでも史実でも裏切者扱いを受けていますが、小野家は井伊家のためにも尽くした一族とも言われています。
龍潭寺には、井伊家と並んで小野朝直や小野家代々の墓があります。
井伊直親について今川氏に讒言
1562年、小野政次は、駿府の今川氏真に「直親が徳川家康に内通していて今川家に謀反の疑いがある」と訴えました。
井伊直親は今川氏真へ説明するために駿府へ向かいますが、道中の掛川城付近で今川氏家臣の朝比奈泰朝によって殺害されてしまいました。
小野政次は、さらに氏真の命令により直親の子ども・虎松(後の井伊直政)も殺そうとしました。
しかし、井伊家に仕える今川家重臣・新野親矩によって虎松は逃がされ、虎松殺害の命令を果たすことができませんでした。
女城主井伊直虎の元で筆頭家老として務める
1563年に井伊直平が死去し、1564年には井伊家重臣の中野直由が戦死しました。
井伊谷を預かっていた中野直由が亡くなり井伊谷城の主がいなくなったため、龍潭寺の南渓和尚は直盛の娘の次郎法師(井伊直虎)を井伊家当主としました。
1568年、武田信玄の駿河侵攻を受け、今川氏真の命令によって、小野政次は井伊谷に入り、井伊家から井伊谷城を乗っ取りました。
井伊谷城主の井伊直虎や跡継ぎの虎松は龍潭寺に逃げ込み、命は助かっています。
ですが、徳川家康が派遣した近藤康用・鈴木重時・菅沼忠久の井伊谷三人衆によって、井伊谷はすぐに奪われ、約1か月の城主に終わりました。
攻められた小野政次は井伊谷から逃げ出し井伊谷周辺に潜伏していました。(竜ヶ岩洞に隠れていたと言われています)
1569年、徳川家康が堀川城を攻撃時に小野政次は見つけ出され、4月7日、井伊谷城東方にある井伊家の処刑場である蟹淵で処刑が行われたそうです。
5月7日、小野政次の2人の息子も処刑されました。
奸臣(悪だくみをする家来)と位置づけられた小野政次の家系は、ここで絶たれました。
悲しいことに龍潭寺には小野政次と二人の息子の墓はありませんが、二宮神社に祀られている社や供養塔があります。
小野但馬守政次の供養塔はココにある
引佐図書館、井伊谷城址登り口前を通り、井殿の塚から約300mの所に小野政次供養塔はあります。
井伊谷城址・井殿の塚から小野政次の供養塔に行く
供養塔に行く道順①
井伊谷城址登り口手前の右手の坂を下って井殿の塚をめざす。
坂を下りきる前、右手に大きな木があります。
大木の方向に向かう階段を降りると、井伊直親の父の供養塔『井殿の塚』があります。
供養塔に行く道順②
井殿の塚へ向かう階段を下りずに坂道を突き当りまでそのまま進む。
供養塔に行く道順③
突き当りを左折。
(257号線に出ます)
供養塔に行く道順④
制限速度40kmの道路標識を左折。
車がすれ違いできないほどの道幅なので注意して通行してください。
供養塔に行く道順⑤
曲がってすぐ、右手に供養塔。
国道257号線から小野政次の供養塔に行く
供養塔に行く道順①
国道257号線の「井伊谷上」交差点をさらに約550m北上。
供養塔に行く道順②
制限速度40㎞の道路標識を左折。
供養塔に行く道順③
曲がってすぐ、右手に供養塔。
住所 | 浜松市北区引佐町井伊谷256 |
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見学料 | 見学無料 |
駐車場 | なし |
お問い合わせ先 | (株)マット 053-542-2921 |
小野但馬守政次の供養塔まとめ
小野政次に関しては、戦国の一武将というだけで実は詳細には記録が残されていません。
龍潭寺や徳川家の資料から奸臣としての小野政次だけでなく、大河ドラマの脚本のような井伊家に尽くした一面があるなど、現在では色々な解釈がされているようです。
浜松市北区井伊谷にある供養塔には、小野政次だけでなく二人の息子の分も並んでいます。
戦国時代の井伊家は色々な戦国武将に翻弄されながらも、徳川家康側についたことで、徳川四天王として井伊直政が活躍します。
井伊家に影響を与えた小野政次は、井伊谷城でどんな風景をみていたのでしょうか。
どんな思いで城を乗っ取り・処刑されたのかは、誰にもわかりません。
平穏になった井伊谷を小野政次はどのように感じているのでしょうか。
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